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甲山事件 冤罪事件簿 2009.06.04

甲山事件(かぶとやまじけん)とは、1974年に兵庫県西宮市の知的障害者施設「甲山学園」で園児2人の死亡事故が発生したことに端を発する刑事事件である。

1974年3月17日、園生の女児(12歳)が行方不明となる。同月19日、園生の男児(12歳)も行方不明となる。同日に学園の浄化槽から2人の溺死体が発見された。検視の結果、被害者女児は3月17日に死亡、被害者男児は3月19日の食事後2、3時間後に死亡したことが判明した。

当初は浄化槽周辺が園児たちの遊び場となっていたため園児による事故ととる説もあったが、遺体が発見された時には浄化槽は17kgのマンホールの蓋で閉じられていたことから、警察は園児の力でマンホールの蓋の開け閉めができないと判断し、また同じ現場で二人の死体が放置されていた不自然さから大人による殺人事件として捜査。また甲山学園は外部から隔離され、外部進入の形跡がなかったことから、内部犯として捜査が絞られ、最終的にアリバイのない者は保育士の山田悦子(当時22歳)だった絞られた。

4月7日、同施設の山田が園児殺害の容疑で逮捕された。しかし、検察は証拠不十分で不起訴となり釈放。山田は不当な人権侵害であるとして国家賠償請求訴訟を起こす。また不起訴に対し被害者の男児の遺族が検察審査会に不服を申し立てる。検察審査会が「不起訴不当」の決議を出したため、警察による再捜査が始まった。その後検察が行った再捜査時に園児から「女性が園児を連れ出すのを見た」という証言が得られたとして、1978年に女性は再逮捕。同年殺人罪の容疑で起訴された。また国家賠償請求の裁判で保育士のアリバイを証言した園長と同僚にも、園児の証言からアリバイは偽証として、偽証罪で起訴された。殺人罪で山田を含めた3人は公判開始前に保釈されている。

1980年、園児の女児が「自分を含めた5人で浄化槽の近くで遊んでいた際に、マンホールの蓋は少し開け、それから横の方に動かして全部開けた。私が、被害者女児の手を引っ張ったら浄化槽に落ちた後、マンホールを閉めた。その時に被告人はその場にいなかった」とマンホールを園児が複数で動かすことによって開け閉めができたことと一人目の被害者が殺人事件ではなく事故であったことを供述。

1985年、一審の神戸地方裁判所は無罪判決を出すが、検察はこれを不服として控訴。これに対し1990年、大阪高等裁判所は無罪判決を破棄し、地裁へ差し戻す判決(これを実質的な有罪判決と見る向きもあるが、第二次控訴審では「審理不十分という前提での破棄であり、積極的に有罪を認めたわけではない」と判断された)を下した。これに対し、女性側は最高裁判所へ上告するが、最高裁は1992年に上告を棄却し、神戸地裁への差し戻しが確定した。

1998年、差し戻し第一審の神戸地裁は再び山田に無罪判決を出すものの、検察は再び控訴。1999年大阪高裁は山田に対する無罪判決を支持し、検察側の控訴を棄却。その後検察は最高裁への上告を断念。事件発生から25年が経過しようやく山田の無罪が確定した。事件当時22歳だった山田は、この年には48歳になっていた。アリバイを証言したことが偽証罪で起訴された園長と同僚も無罪が確定した。

事件発生から25年、裁判開始からも20年以上が経過するという、再審を含まない一般事件としては稀に見る長期裁判となっただけでなく、5回の裁判を通じて一度も有罪の判決は下されていない、1999年の第二次控訴審では弁護団が総勢239人(その中には中坊公平ら日弁連会長経験者3人が含まれる)にまで膨れ上がるなど、ある意味で異例ずくめの事件だった。

この事件の真相は未だに不明な点もあるが、事件の性格としては証言となりうる園児が知的障害者のために正確な証言を聞き出すのが難しかったことがあげられる。また捜査当局が「マンホールの蓋を園児が開けることができない」「二人の園児が同じ場所で死亡し、蓋が閉じられていることが不自然」と判断したことが、最終的に山田の殺人罪起訴に繋がった。

なお、二人目男児死亡事故に関しては一人目女児死亡事故と違って園児達による事故とする詳細な供述はない。しかし、状況証拠から一人目同様園児達による事故と考えられている(なお、1980年の園児の供述では、一人目女児死亡事故の際に二人目の男児も一緒にいたとして、二人目の男児が他の園児達と一緒に死亡二日前に死亡現場の浄化槽の近くで遊んでいたことになる)。

現在、甲山学園は閉鎖されているが、病院として機能している。

また被害者女児と被害者男児の両親は社会福祉法人甲山福祉センターを相手取って管理責任が欠けていたために子供を死亡させたとして、精神的苦痛を理由に合計3367万円損害賠償を請求。この裁判では原告が勝訴し、社会法人福祉センターは被害者両親に合計1133万円を支払うことになった。また、裁判中に甲山福祉センター側が「知的障害者死亡によって、両親は苦労を免れたため、精神的苦痛を理由とする損害賠償は筋違い」と主張したため、知的障害者を育成する立場にある者が知的障害者の生存を軽視した差別発言として人権派の間で問題視された。


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