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空について 2009.04.28

 私のホームページ「劇場国家にっぽん」では、その中心的なテーマを「空の天皇」としている。私は、わが国の「歴史と伝統・文化」の心髄は「違いを認める文化」であると考えているのであるが、もしそうだとすれば、これは大変なことで、これからの新しい世界文明を切り開く力がわが国にあるということになる。

 私はすでに、天皇について思うこと・・それは「空」!・・・というタイトルで「空」について若干書いたが、「空」はけっして空虚なものでもないし何もないという「無」というものでもない。中沢新一がいうように、「空」は「力の充溢した空間」なのである。「空」は「力の充溢した空間」であるというのはおおよそ今までの一般的な理解とは違うのではないかと思う。しかし、私は、中沢新一の言っていることは正しいと思う。「空」は「力の充溢した空間」である。

 では、この点につき、ダライ・ラマの言っていること(言葉)を紹介したいと思うが、その前に、私なりの説明をしておきたい。「空」の説明ではない。そうではなくて、「空」は「力の充溢した空間」であるということについて、ゼロ(零)についての数学的な概念も使いながら一般に判り易い説明をしておこうかと思うのだ。

 さて、私は以前、日本人の感受性について書き、次のようにフラクタルの説明をした。

 地球上の自然がすべてフラクタル構造であるのはもちろんだが、宇宙の構造がどうもフラクタル構造らしい。竹内薫は、その著書「宇宙フラクタル構造の謎(1994年5月、徳間書店)」で、『 世の中すべてフラクタルになっていると言っても過言ではない。(中略) 我々の住んでいる巨大な銀河宇宙だってフラクタルになっている。それどころか、万物の根源であるミクロの素粒子だってフラクタルになっている。』・・・と言っている。

 フラクタルの発見は、ベンワ・マンデルブロ(イェール大学数学教授ベンワ・マンデルブロ)によるものであるが、フラクタルの発見は20世紀最大の発見と言う人もあるぐらい、フラクタルに関する科学はすばらしい。そのフラクタル理論が「日本人の感受性」の秘密を解きあかしてくれるのである。フラクタルには、黄金比に深い関係があり、結果として非定形の美にも黄金比が含まれていると言われている。日本文化は、非定形文化であり、「フラクタル文化」といってよい。

 以上であるが、「地球上の自然がすべてフラクタル構造である」ということに関して、ゼロ(零)についての数学的な概念も使いながら一般に判り易い説明をしておこうという訳だ。まずは、ゼロ(零)について、「ダライ・ラマの般若心経」(2004年9月、ジェネオン・エンタテイメント)の取材を行なった大谷孝三の解説を紹介する。彼いわく。

  〈何々が空である〉という表現を理解するには、サンスクリット語の歴史を知るのが早道だろう。紀元前四世紀、言語学者パニニは、世界最古の文法書である、サンスクリット語の文法書アシュタディヤーイの中で、サンスクリット語文法の基本を説明するのにこのシューニャを使っている。サンスクリット語の動詞や名詞は語根に接尾辞がついて様々な意味を表現する。しかし、接尾辞のない単語もある。これを〈接尾辞がシューニャである〉、すなわち〈あるべき場所に接尾辞がない〉と表現したのである。この用法を、仏教徒も数学者も借用して、それぞれ「空」と「0」を発展させたと考えられている。哲学的概念である「空」が先か、数学の「0」が先かについては議論があり、まだ決着がついていない。文献で世界最初に「0」が記録されているのは、紀元前458年8月25日の日付があるジャイナ教の文書、ロカヴィバーガであることは確認されている。

 

 ゼロ(零)に関する大谷の解説は以上のとおりであるが、彼の言うとおり、〈何々が空である〉という表現を理解するには、ゼロ(零)についての数学的な概念も使いながら、地球上の自然がすべてフラクタル構造であることを理解する必要がありそうだ。

 御承知のように、デジタルというのは二進法の世界である。0と1で書いたプログラムによって、デジタル写真が出来上がっているし、インターネットやデジタルテレビの映像が出来上がっている。つまり、デジタル写真やインターネットやデジタルテレビの映像はすべて0と1で成り立っているという訳だ。0はマイナス1とプラス1を足したものであるので、すべて0と1で成り立っているということは、とりもなおさず、世の中のものはすべてマイナス1とプラス1で成り立っているということだ。

 もし、マイナス1とプラス1のバランスがとれていれば、世の中の全体はゼロ(零)となる。もし、マイナス1とプラス1のバランスがとれていなければ、世の中の部分がゼロ(零)となる。そういったゼロ(零)の世界は、マイナス1とプラス1が数知れずあって、多様な世界をつくり出しているのだ。つまり、ゼロ(零)の世界は多様な世界である。「力の充溢した世界」なのである。

 

 それでは、いよいよ、「空」は「力の充溢した空間」であるという点につき、ダライ・ラマの言っていること(言葉)を紹介しておきたい。ダライ・ラマいわく。

 

 『「空は実に形あるものである」が表現しているのは、空は非存在を意味しないということである。空は固有の、それそのものだけで存在するものの非存在を意味している。したがって、これが意味するのは事象が互いに依拠して生成(縁起)することである。ものごとは原因と条件によって生起する。この因果関係は十分に批判に耐えるものである。この相互関係の世界では、人は原因と結果を判定することができる。この因果関係の世界は、ものごとが互いに依拠しあって生成する世界でのみ成り立つ。そして、この互いに依拠しあう世界は、独立して、それそのものだけで存在するものが存在しない世界でのみ成立する。したがって、「空は形あるものである」は、形あるものは空から生起することを意味している。空は形あるものを生成させる基盤となる。 』 

 

 

「ダライ・ラマの般若心経」から

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