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アイマール 2009.04.29

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豊かなスピード、天性の閃きと卓越したパスセンスは絶品。周囲の味方を自在に操っているかと思えば、一転、自ら切れ込んだりと、見る者を飽きさせない。サッカー選手としては決して恵まれた体格ではないが、それでも相手DFを翻弄する様は、まさに実写版『キャプテン翼』だ。

ルックス的にもかなりイケてる。少年のような愛くるしい外見が、世の女性達の母性本能をくすぐりまくりそう。その点、同じアルゼンチン人でもヴェーロンやバティなどとは大違い。

おまけに性格も温和で紳士的。南米人には珍しく喧騒を嫌い、自分の誕生日なのに、チームメイトの誰にもその事を言わずにゲームに臨んだというエピソードまである。

「もしサッカー選手じゃなかったら、僕は女の子にモテなかっただろう」
と自分を評する人間性は、3歩下がって歩く古き良き時代の日本人女性のようだ。お前モテるよ。


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世界で最も将来を渇望される選手の1人。「パジャソ」のニックネームは、観客を飽きさせないプレーを展開する事から付けられたもの。そのニックネームの通り、確かな技術に裏打ちされた創造的なプレースタイルはエンターテイメントそのもの。アイマールの繰り出すパスは天才的な閃きを感じさせ、ドリブルは同郷の先輩アリエル・オルテガと双璧を成すほどスピーディーでトリッキー。積極的にシュートを打っていくタイプではなく得点数はやや少ないが、左右どちらでもシュートが撃てバリエーションにも富む。アイマールほど魅力的なプレーヤーは、過去の歴史を振り返ってみても数える程しかいないだろう。
 内気な少年だったアイマールは、13歳の時にブエノスアイレスでリバープレートの入団テストを受ける。見事合格したものの、一度はホームシックにかかりコルドバ州リオ・クアルトへ帰郷。だが当時のリバープレート監督ダニエル・パサレラがユースの一人に過ぎなかったアイマールを説得、再び彼をチームに呼び寄せた。それから3年後、1996年に16歳でトップチームにデビュー。1999/00シーズンには30試合に出場し12得点を挙げ、チームを前期、後期共にリーグ優勝へと導いた。
 2001年2月にバレンシア史上最高額となる24億円もの移籍金で迎え入れられ欧州の舞台にデビュー。移籍2シーズン目となる2001/02シーズンには早くもチームの中心として活躍し、31シーズン振りとなるリーグ優勝をチームにもたらす。
 まだ若く、完全に技術が完成しているわけではない。調子がばらつき精神的に未熟な部分もある。だがアイマールの輝かしいキャリアは、まだスタートしたばかりだ。是非「ディエゴ・マラドーナの再来」という風評を現実のものにして欲しい。その資質、その資格を備える数少ないプレーヤーだ。

しかし、04-05シーズンにクラウディオ・ラニエリが監督に就任してからは、本来以外のポジションでプレーさせられたり、先発メンバーを外れることが多くなったりと不遇の時を過ごした。しかし同シーズンに成績不振からラニエリが退任し、アントニオ・ロペスが監督に就任した後は、アイマールを中心に据える戦術によって再び輝きを取り戻した。2005-2006シーズンは負傷やキケ・サンチェス・フローレス監督の起用法の影響からか、本来のプレーを発揮するに至らず、2006年7月に同リーグのレアル・サラゴサへ移籍した。 2008-2009シーズンからはポルトガルのベンフィカに約12億7500万円の移籍金で移籍した。


がんばれ!アイマール!

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