fc2ブログ

大阪府熊取町 連鎖自殺? なぜ起きた?7人連続怪死 2016.10.29

【事件概要】

 1992年6月から7月にかけて、大阪府熊取町で17歳から22歳の若者が連続して自殺、変死するということがあった。一週間ごとに、それも決まって水曜日か木曜日に自殺するというミステリーで騒がれた。

熊取町・・・・大阪府南部。泉南郡に属する。人口約43000人。


――――――――


【熊取の少年少女】

 事件自殺した5人については以下の通り。


6月4日(木)  無職・A君(17歳)が自宅そばのタマネギ小屋で首吊り自殺

6月10日(水) 土木作業員・B君(18歳)がかつて住んでいた家の納屋で首吊り自殺。

6月17日(水) 旅館従業員・C君(18歳)が農作業小屋で首吊り自殺。

6月25日(木) 熊取町在住の岸和田市職員D君(22歳)が町内の森で首吊り自殺。

7月2日(木)  熊取町内の女子大に通うE子さん(19歳)が胸を果物ナイフで刺し自殺。

 また5人の自殺の前に2人の17歳が亡くなっていた。


4月29日(木) シンナーによって板金工のX君(17歳)が熊取町内の貯め池に落ちて死亡。

5月29日(金) 無職・Y君(17歳)がシンナー吸引による心不全で死亡。


 シンナーで死んだ2人を合わせると、死体が見つかった場所はすべて半径1.2km以内に集中している。この狭い範囲の中、2ヶ月半で7人の若者が亡くなっていた。

 自殺、不審死の熊取町の若者たちのうち、岸和田市職員のD君と女子大生のE子さん以外の5人はシンナーやバイクをキーワードに接点があった。



Y(17)無職

【3番目の自殺者 6月4日(木)】

6月4日木曜日、タマネギ小屋にて首を吊っているのを発見される。

警察がマークしていた暴走族グループである『風(KAZE)』をKと共に旗揚げする。地元では有名なワル。

翌週に自殺するKとは中学の同級生であり、親友であり、バイク仲間であり、シンナー仲間であった。

中学3年頃からほとんど学校に顔を見せず、仲間とダベったり、パチンコなどに興じていた。
中学卒業後、美容師の専門学校に入学するも、1年も経たずに中退しており事件当時は無職だった。愛車はHONDAのCBX400。父親が某学会員。

4日午前0時ごろ自宅に帰り、同2時ごろ再び外出。その3時間後に遺体で見つかった。

ポケットの中に「借金を返して欲しい」という折り込み広告の片隅に書かれたメモを所持していたが、遺書らしき遺書は発見されていない。自宅の仏壇にはYが金を借りたとみられる友人2人の名前と10数万円と記したメモが残されていた。

生前に『白い車』に追われていた。




K(18)建設作業員

【4番目の自殺者 6月10日(水)】
警察がマークしていたグループ『風(KAZE)』のリーダー。上記の無職Y同様、地元では有名なワルだった。

やはりシンナー常用者で補導歴もあり、シンナーをキメているときに公務執行妨害で逮捕されたこともある。愛車はHONDAのCBR400。
Kが自殺した納屋は事件後すぐに取り壊され、今では空き地になっている。
Kが自殺した納屋は事件後すぐに取り壊され、今では空き地になっている。



駅前にワンルームマンションを借りており、そこが仲間たちのたまり場になっていた。

駅前の住民の証言によれば、バイクや自転車の盗難はおろか、自動販売機や公衆電話を破壊するので迷惑してしていたという。

親友であった無職Yの葬式で、「なんで死んだんや」と泣いて憤り、その時参列した仲間たちに「悩みは相談し合おう。Yのぶんまで俺たちが頑張って生きよう」と訴えかけるなど前向きな姿勢を示していた。

ヤンチャではあったが、人望は厚かったようで、当人が自殺した際、その葬儀には彼を慕っていた後輩や、近隣のグループからも参列者がつめかけ、その数400名にもおよんだほどだった。

中学卒業後、旅館従業員T(翌週に自殺)と共に父親の会社を手伝っていたが、1991年にその会社が倒産した。それと同時に住家を手放すことになったのだが、それをとても悔しがっていたという。
なすすべもなく家を手放した後も、一生懸命働いて家を買い戻そうとしており親孝行でもあったとされる。

自分が会社を再建させ、母親を早く楽にしてやりたいと常日頃から公言しており、本人も自身をして『マザコン・ヤンキー』と評していた。

彼の通っていた中学校の校長は以下のように証言している。

証言1
仲間と一緒に校舎の窓ガラスを49枚も割ったり、卒業式にバイクに乗って現れたりということもあったようですが、卒業してからは、仕事帰りに2回ほど遊びに来てくれて、給食室のドアを修理してくれたり、スズメバチの巣をもってきて理科の先生を喜ばせたこともあります。《中学の校長》


窓ガラス49枚というのは尾崎豊を彷彿とさせるタフな枚数であるが、その一方で優しい人柄を覗かせる部分や、教師に「体に響くから、シンナーはやめろ」と諭され「うん」と頷く素直な部分もあり、これらが人望に繋がっていたと思われる。
尾崎豊同様、繊細な所があったのかも知れない。尾崎豊も変死であるし。

ともかく、近所でもキチンと挨拶をする子という評判で、「ヤンチャはするが、弱い者いじめはしないKのことだから、いずれは人の上に立つひとかどの人間になるだろう」――と教師は見ていた。

当時付き合っていた女性が妊娠していたため、「いよいよ生まれるんや、お祝いくれよ、お祝い」などと笑って話しており、近々結婚する予定で新居も探していた。

だが彼は死んだ。

恵林寺という古寺の、参道脇の納屋で首を吊って。

「自殺する前々日には仕事先に持ってゆく保温式のランチボックスを買っておいてくれるよう頼まれていたんです」と母親は息子の死を信じられないでいた。

現場に駆けつけた母親は、ロープにぶら下がる息子の姿をして、『あり得ない様子だった』と主張している。

肩をいからせて、前のほうを睨むようにして、こぶしをギュッと握りしめとったんですよ。ふつうは体はダラリとなるでしょう。警察の人に私言うたんです。『これでも自殺なんですか』って。『いや最近はこう言うのも多い』とか言われましたけど、首吊った体に最近とか昔とかあるんですかね。
あの夜は(註:息子が亡くなった前日に当たる6月9日)夕方、私と一緒に食事をしたんですよ。友達と何かの約束があって、『あんまり腹一杯やと具合悪い』いうて、御飯も少なめに食べてね。出かけていって、そのまま……普段と全然かわらへんかったし……。


息子は確かに言うてました。カローラやったと思うけど、白い車にいつも付け回されて『俺ヤバイんだよ』とか。息子だけやなくて、友達のY君も集会の時、ふと後ろを見るといつもおるんやって……。運転しとるオッサンの顔がどうとか、息子と話してたこともありますわ。



T(18)旅館従業員


【5番目の死者 6月17日(水)】

高知県出身。元野球少年で、野球で有名な私立高校を中退後、大阪に出てきて事件前年までKの父親が経営していた土建会社で建設作業員Kと一緒に働いていた。
事件当時は三重県鳥羽市の旅館従業員。

無職Y、建設作業員Kのバイク仲間で『風』のメンバーだった。

斜面になった畑の側にあった小屋で手を縛り首吊り自殺を遂げる。

鳥羽市の職場には「友達の葬式に出るので休みが欲しい」と告げ2日間の休暇を取り、建設作業員Kが自殺した2日後の6月12日に熊取へ戻った。だが葬儀には間に合わなかった。

そして帰郷後は友人宅を転々としたのちに自殺。

農作業小屋で首吊り自殺をしたが、両手がビニール紐で後ろ手に縛られていた。


検死官が来て調べたが、現場に争った形跡がなく、自分でも縛れる縛り方であったため、警察は自殺と断定。すぐ近くの民家の人も物音を全く聞いていない。首吊りの紐をほどかないよう、自分で縛ったものとされている。

Tが勤めていた旅館の支配人によれば、Tの評価は悪くない。

勤務態度は真面目で、服装もきちんとしており、ヤンキー風のところは全然見られなかった。
金を貯めて18歳になったら自動車の免許を取るんだと話していたという。

亡くなる5日前にあたる6月13日昼に勤めている旅館に「明日帰ります」と電話をしているが、帰らず、そのまま自殺している。

16日昼。帰郷して半年ぶりに会ったかつての恋人に「近く結婚する」という話を聞かされ、その直後から「ロープはないか」と自殺する素振りを見せていたという話がある。これをして自殺の根拠と考えることも出来るが、これに関して「あくまで冗談ぽく言っていた」という証言もある。

そしてやはり『白い車』を知っていた。

自殺という警察発表に納得できない建設作業員Kの母親が、Tが自殺する2日前にTに電話で問いただしている。

母親が「息子が白い車に追われていたと言っていたが本当なのか?」と問うと、Tは「うん、俺とKは見た」と答えたという。
このことから、Tが三重県へ働きに出る前に『白い車』の話が持ち上がっていたことがわかる。一連の自殺騒動の半年前だ。




F(22)公務員


【6番目の死者 6月25日(木)】

熊取町在住だった岸和田市職員。『風』連中とは交流があった形跡なし。

熊取と隣接する貝塚市との境にある山林で、ピンク色のカッターシャツをロープ状にして首を吊る。

仕事はゴミの回収が主で、Fは粗大ごみの担当だった。無断欠勤もなく真面目な勤務態度、好青年だったと同僚は評する。
マラソンが趣味で市役所の陸上サークルに所属していた。
当日も弁当を持って自宅を出ている。

不可解とされるのがFの死の状況だ。

熊取と貝塚市の境にある山林で発見されたFは、栗の木の幹にシャツを掛けて首を吊っていたのだが、その幹の高さが到底手の届く場所になかった。

結局、警察はFの死を自殺と判断したが、『他殺説』の可能性を捨てきれない地元の者たちはその判断に首を傾げた。




G(19)女子大生

【7番目の死者 7月2日(木)】

鳥取県米子市出身。事件のあった年の4月から町内の大阪体育大学に通い、陸上競技に励んでいた。

『風』連中との接点はなし。前述の公務員Fとも接点はない。無理やりこじつけるなら、2人とも『陸上競技』に励んでいた。
シンナーもなし。

7月2日午後8時40分ごろ、下宿近くの町営グラウンド脇で血まみれで発見される。
発見時、グラウンド横の側溝に倒れ込んでおり、左胸に致命傷、首筋4カ所に切り傷があった。近くに落ちていた果物ナイフが凶器だった。

発見直後は生きており、しきりに「違う、違う」と訴えていた。
病院へ緊急搬送されたが、日付の変わった3日午前2時10分、出血多量で死亡している。

死の2日前に1000メートル走の自己新記録を出して大喜びしていたこと、8月には鳥取に帰省するつもりで、テレビ番組『北の国から』『大相撲ヨーロッパ巡業』の録画を実家の者に自殺の3日前に電話で頼んでいたこと。以上の2点から自殺するほど思い詰めていたとは考えにくい。

異性関係はなく、4月からはじめた寮での新生活でもトラブルはなかった。

発見された当日7月2日の夕方にはスーパーで買い物している姿を友人が目撃している。
目撃した友人曰く、「彼女は普段通りで、何ら変わったところはなかった」そうで、やはり自殺する動機は見あたらない。

左胸の致命傷の他に首筋にためらい傷が残されていたことから自殺と見なされた。

発見された付近は午後8時の時点で人通りもあり、自殺に適した場所とは言い難い。

だが首の切り傷をみとめた警察は、これを『ためらい傷(註:自殺者が自殺を吹っ切れないまま自身に刃物を向けることで生じがちな、致命的ではない傷)』として自殺と断定。

生前、怯えた様子でしきりに「黒い車に追われている」と友人にもらしており、ナイフで胸を刺した日も近くに車が止まっていた。――が、彼女を車が追い回していたという事実は確認できていない。

彼女の父親は、「殺されたんじゃないかと思う」と、はっきりと娘の自殺を否定している。




A(17)板金工

【1人目の死者 4月29日】
紹介する順番が前後するが、Aが最初の死者。『7人』の起点とされる。
当時17歳の板金工。
無職Y、そして作業員Kのバイク仲間だった。そして彼らの中学校の後輩でもある。

仲間とシンナー遊びをした直後、「泳ぐ」と宣言してひとり池に飛び込み、遊泳中に死亡。心不全だった。




B(17)無職

【2人目の死者 5月29日】

無職。自室でシンナーを吸引し、心不全で死亡。
一ヶ月前に死亡した板金工Aと同様、Y、Kのバイク仲間だった。

部屋でうつぶせになって死んでいるところを母親が発見。
母親はBに対し、以前からからシンナーをやめるように言い聞かせていたが無理だった。家庭内不和アリ。
シンナーを乱用していたせいか肝臓が弱く、死亡する時分にはギスギスに痩せていた。
作業員Kはこの後輩たちの葬儀に参列している。




スポンサーサイト



【上原美優】自殺の真相 【闇女衒の古山義邦】 2013.04.04


タレントの上原美優自殺騒動。
遺書のような走り書きのメモが見つかったり、
自殺する直前に恋人と一緒にいて、第一発見者もその恋人であったりと
少しずつ、事実が判明しているようですが・・・

今回の上原美優自殺には芸能界の闇の部分が関係しているとの噂も・・・
芸能界 ~闇の真相


六本木あたりの小金持ちや有名人にアイドルやモデルを回している
闇女衒の古山義邦と言う人が今回の上原美優自殺に大きく絡んでいるそうです。

古山義邦は関東連合の関係者。
関東連合は朝青龍引退騒動、西新宿バットマン殺人、市川海老蔵事件、押尾学事件などで
裏で関係していると言われている芸能界のダークサイドなんだそうで・・・
実録!闇の支配者黒幕


この闇女衒の古山義邦上原美優は連れまわされていたそうです。
あの小坂由佳も古山義邦のせいで精神的におかしくなって
ああなってしまったとか・・・

また、これまた関東連合の関係者である石本太一という人と上原美優
交際していたという噂もあるそうです。

第一発見者の男も石本太一じゃないかと言われています・・・

ちなみのこの石本太一は市川海老蔵の暴行騒動は起こった店の関係者で、
市川海老蔵を殴ったとして逮捕された伊藤リオンも関東連合の関係者だそうです。
なんか、すべてが関東連合につながっていて怖いんですけど・・・
裏社会の掟


上原美優自殺したマンションの住人は、
「女性の声で大声がして救急車を読んだ」と証言していましたが、
今はそのことをどこも報じませんよね。
男性が女性の名前を大声で呼ぶ声も聞こえたそうですし、
もしかしたら上原美優は殺されちゃったのかな・・・

上原美優の所属するプラチナムプロダクションは社長もマネージャーも
ヤクザみたいな人らしいですし、上原美優の近くには芸能界の闇の存在があったのでしょうね。

関東連合の女衒に女を回してもらっているために、
芸能界での関東連合の存在は大きいらしいです。

若い女性芸能人は仕事を取るために、女衒によって「売られて」いるそうです・・・
芸能界の下半身事情の怖さはこういう所から出ているのでしょうね・・・
枕女優


古山義邦とは?


また、今回の現場にいた彼氏とは異なるが、上原の彼氏と言われているのが古山義邦という人物。
古山義邦も伊藤リオンと同じく、関東連合宮前愚連隊のOBで、押尾学の遊び仲間。
さらに、西麻布のクラブ「エーライフ」の系列店のオーナーで、折口にアイドルやタレント、モデルなどを斡旋していた女衒とも言われているような人物である。
この古山義邦が「上原美優を連れまわしていた」と言われている。

ちなみに、「遺書らしきメモがあった」と、「らしき」という表現が使われていた場合、8割がた、他殺だという警察の証言もある。
自殺しようとする人の遺書は普段よりきれいな字で書かれているのが普通で、「遺書らしきメモ」の字はナイフを突きつけられて書かされたと思えるほど汚いらしい。


また、亡くなる直前まで一緒にいた恋人が自殺に見せかけた他殺ではないかという憶測も飛び交い始めている。
あくまでも噂のようであるが、果たして真実は明らかになるのだろうか。
心からご冥福をお祈りしたい。

韓国の性接待の実態 2009.06.25

日本の漫画が原作で、韓国で若者に人気を博したドラマ「花より男子」(韓国版)に出演した女性タレント、チャン・ジャヨンさん(26)が「酒の席や夜を共にする接待を強要された」との内容のメモを残し自殺したとされる問題をきっかけに、韓国社会に残る「性上納」(性的な接待)の慣習が批判を浴びている。チャン・ジャヨン


 チャンさんは3月7日、京畿道城南市の自宅で首をつっているのを家族が見つけた。警察は当初、鬱(うつ)病(びよう)などが原因としていたが、同月13日にKBSテレビが「チャンさんの遺書」とするメモを公開。「接待相手から夜を一緒に過ごせと強要された」「暴行を受けた」との内容だったと
3月に「性接待を強要された」などと書かれたメモを残し自殺した事件で、京畿道・盆唐警察署は25日、所属事務所の前代表金鍾承容疑者(39)が日本で逮捕されたことを受け、事件関連者13人の捜査を再開すると明らかにした。

 前代表の身柄引き渡しを受け次第、これまで確保した供述や捜査資料を土台にその犯罪容疑を立証する方針だ。また、前代表の日本逃亡で中断された捜査対象者への調べも並行する。すでに不起訴処分とした捜査対象者らも、前代表への捜査で容疑が浮上すれば、再び捜査対象とする計画だ。

 警察は速やかな身柄引き渡しに向け、法務部を通じて日本当局と協議しており、強制出国の形を取れば1~2週間以内の韓国送還が可能だと警察はみている。ただ、犯罪人引渡し条約の手続きを踏む場合、3か月以上かかる可能性もあり、また前代表が法的対応に出て強制出国に応じない場合は、さらに引き渡しが遅れる可能性もある。

1970年代から、韓国政府は、外貨獲得のため、韓国国民成人女性を志願と言う形で、組募集し、国営で公営売春制度をつくり、多くの外国人向け、日本人向けの宿等を完備し、キーセン旅行として、観光局?が主催し、外貨獲得をしていました、それも199年代までですから、驚きですね・・・・・・
詳細として
大韓民国の成立後に朝鮮戦争が勃発し、戦火で焼き尽くされた国土の復興には莫大な費用が必要になりました。朴正煕大統領は、日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約で獲得した資金を元に復興を進め、在韓米軍を新たな復興への資金源として見出し、当時、駐留米軍に対する風俗店は、朝鮮語でヤクザと呼ばれる非合法の犯罪組織が関与しており、莫大な金額が地下に流出していた。これを一斉に摘発し、新たな国営の娼館制度を代わりに据え、外貨獲得を行った。これが便宜的に国営妓生と呼ばれる制度であり、更なる外貨獲得を目指して、一時はベトナム戦争時など海外にも派遣された。日本が復興し海外旅行が再開されると、日本からの観光客に対しても、国営妓生が使われた。1990年代まで、キーセン旅行と呼ばれるほど韓国旅行が風俗旅行と同等の意味を持っていたのはこのためである。

漢江の奇跡を経て1980年代に韓国経済が軌道に乗り始めると、国営妓生の志望者は減少し、それを埋める形で成長した民間の妓生ではフィリピンやインドネシアなどの東南アジアから女性を誘致。ソ連崩壊後は、ロシア人女性も誘致の対象となり。
やがて外国人娼婦に対する違法行為が頻発し、一部で社会問題化になり、2004年に韓国の議会は、すべての売春施設を閉鎖し、売春行為を違法とする法改正を行った。これによって、妓生は大韓民国では事実上廃止

 前代表は24日午後5時半ごろ、東京都内のホテルで入管難民法違反(旅券不携帯、不法滞在)の容疑で日本警視庁に逮捕された。現在は警視庁管轄の警察署に留置されている。

そーいう観点からみると、韓国人的には性接待は当たり前のことだったのか?

日本でも、女優や女性アイドル(売り出し中でも、有名な人でも)は、仕事をもらうために売春を強要されたりしているものなのでしょうか。
「そんなの当たり前」あるいは「そんなことはない」という説があると思いますが、ドラマや小説などでそういうシーンが
あるのを見ると、まんざら嘘でもないのかなと思います。
あと、雑誌のグラビアやバラエティーのアシスタントなどをやっていたアイドルが、急にドラマやバラエティーのゲストで
出始めたのを見ると、裏でそういう事情があったのかなとも思います。

また、女優やアイドルから接待を受けているのは、番組のプロデューサーとかヤ○ザとかなのでしょうか。

ノ・ムヒョン前大統領飛び降り自殺 2009.05.23

盧武鉉ノ・ムヒョン)前大統領が23日午前、死亡したことを確認したと慶南警察庁が明らかにした。


なぜ自殺をしなくてはならなっかたのか?

貧しい農家に生まれだったノ・ムヒョン氏は日雇い労働をしながら猛勉強し司法試験に合格した。
ちょー努力家なんです。
弁護士事務所を開業し人権派弁護士として活動を始めた。

1982年の釜山アメリカ文化院放火事件では被告側弁護人を担当した。1987年には大統領直接選挙制を求める6月抗争を主導し、大宇造船事件では逮捕と拘留も経験している。盧武鉉は後年、人権派弁護士への変身は覚悟や決意を要求されたものではないと語った。平凡な常識と良心、そして「拷問されて真っ黒になった学生の足の爪」を見ての憤りと怒りであったという。

1988年に統一民主党(当時)の金泳三に抜擢され、その年の4月に行なわれた13代国会議員選挙で当選し、国会議員として政界入りした。国会の労働委員会では、李海瓚や李相洙とともに「労働委員会三銃士」と呼ばれ、活発な活動を行った。同年、第五共和国の不正調査特別委員会の委員となり、第五共和国聴聞会における全斗煥時代の不正追及の場面がテレビ中継されたことがきっかけで、国民的スターになった。ノ・ムヒョン氏は間違いなく正義のヒーローであった。

2002年大統領選挙では盧武鉉は46.8%、鄭夢準は42.2%の支持率となり、盧武鉉が統一候補に決定した。上盧武鉉ハンナラ党の候補李会昌の一騎打ちとなった。盧武鉉は約57万票差の僅差で李会昌を制し、第16代大統領の座を射止めた。

与野党共に大統領選挙における不正資金疑惑が浮上した。経済運営も難航した。イラクに韓国軍を派遣したことが支持者離れを引き起こし、支持率は急落した。起死回生を図るべく、盧武鉉は国民投票による再信任を提案するが、各方面から批判を浴び撤回を余儀なくされた。盧武鉉は与野党代表と会合を行い「われわれが昨年の大統領選挙で使った不法資金の規模がハンナラ党の10分の1を超えれば、大統領職を退き、政界を引退する」と述べたが調査が進んで8分の1に迫ると、敵対的なメディアでの主観的な計算の問題としてその数字に異議を唱えた。

総選挙を控えた2004年3月9日、野党であるハンナラ党、新千年民主党は国民の理解を得られると踏んで大統領の弾劾訴追を発議した。3月12日、投票(賛成193、反対2)の結果、大統領弾劾訴追案が可決され、一時的に大統領職務を停止された。これにより、当時国務総理(首相)だった高建が大統領職務代行を務めた。


総選挙を控えた2004年3月9日、野党であるハンナラ党、新千年民主党は国民の理解を得られると踏んで大統領の弾劾訴追を発議した。3月12日、投票(賛成193、反対2)の結果、大統領弾劾訴追案が可決され、一時的に大統領職務を停止された。これにより、当時国務総理(首相)だった高建が大統領職務代行を務めた。しかし、党利党略から大統領を弾劾し、国政を混乱させた野党に世論が反発、総選挙でのウリ党の地滑り的勝利に繋がり、これをもって事実上の信任と見なされた。5月14日には憲法裁判所により大統領弾劾訴追が棄却され、職務に復帰した。結果として、盧武鉉は政治基盤を大幅に強化し、政策を推進する体制を整えることとなった。詳しくは<盧武鉉韓国大統領弾劾訴追/a>



2008年2月24日、大統領を退任。
11月21日、側近3人衆の1人チョン・ファサムが盧武鉉が大統領在任中の収賄で逮捕。

そして
自殺・・・?なぜ、自殺なんて考えたのだろうか、盧武鉉(ノ・ムヒョン)氏はそんなに弱い人間ではないと思ってたの僕ですかね、これから色々と議論を呼びそうですね。